生への倦怠 大義がない人生
どもども!!読んで頂きありがとうございます!!
こんにちは!!お酒飲んでないのに二日酔いなrakuikiです。
今日のお題は最近rakuikiが、そもそもこのブログのお題、楽に生きる事に焦点を起き続けると陥る症状について書いていきたいと思います。
現代に生きるピーポー達。そう私達は現状をより良くしようと。より生活を豊かにしようと考え生活しています。
そして一番手っ取り早いのがお金を稼ぐという事ですね。
(少なくともこのブログを見て頂いてるあなたがたは。)
これは当たり前なのです。そして常日頃こーいったことを考え行動していると徐々に具現化していきます。そして生活が実際に楽になっていきます。
至極当然の事なのですが、あの与沢翼氏も体験している事なのですが、一旦自分が思った大きな自分の目標を達成すると、ある一種の鬱状態になります。
与沢翼さんはあるプロジェクトの成功に歓喜した翌日鬱になってしまい、三国志にひたすらのめり込んだ日々があったと記しています。
そしてrakuikiは今その状態です。
実際の今やっている仕事も評価され始め、徐々に楽になり、優しい彼女もいます。
これについて分かった気がするので、同じ症状の人がいたら参考になるかなと思い書いていきます。
生への倦怠
皆さんは生きる事に飽きる事はありますか??
特に不幸せで死にたい!んじゃなく、全てが満たされて、思い残す事が無くなっちゃう感じです。
実はこれ、大義が無いからなんじゃ無いかと思うわけです。
どういう事かと言うと、自分の成功にフォーカスしすぎていて、極端な利己主義的な発想になってしまっていると言う事です。
人間は、自分の為だけに生きる程強く無い。と三島由紀夫氏は語っています。
本当にその通りだな。と
この部分を突き詰めて行くと、ある書に出会います。そうあの「葉隠」です。
あの有名なワード、「武士道とは死ぬ事とみつけたり」のあれです。
rakuikiは高校の時に読んだ事があることを思い出しました。
結局この作者は天寿を全うしてしまうのですが、後世に残す作家として神が戦場に散る機会を奪ってしまったのでしょう。
戦が少なくなり、武士が武士として生きれなくなる動乱の時代、武士が戦で華々しく散りにくい、何かの為に死ねなくなり、大義を無くし始めた頃、武士として死ねなくなり、生き方を見失ってしまう人が増えました。
人生に迷いはじめたのです。
道しるべを見失ってしまった。
臨機応変に世の流れに対応し、うまく生き方を変える者もいるが、根本の生き方を見失い、裕福に変化する生活と共に瞳の色も色褪せていくその者の心境が分かる気がしませんか??
日本人の根底にはまだこの魂が残っているんじゃ無いかと。
人間は、人の為に生きてこそ輝くのでは無いかと。ただだからボランティアに行こうとかそんな単純な内容でも無く。
この現代にはこの現代の大義に死ねる方法があるはず。
それを模索し、実行する事に生きる意味を見つけるのが現代人なのかな、と。
ただ単純に裕福になる事は日本に生まれついた時点で誰でもできるはず。
ただ、その根底を見失わない事が本当の生き方だと思います。
大義を見失わず生きていける人はいない。
ではでは。
おわり!